ゼカリヤ書 3章 6~10節
2025年 2月 2日 第1聖日
 牧師 長江 忠司

 主の使いはヨシュアに諭して言われた事から学びましょう。
 第一に、主の道に歩むことです。クリスチャンであっても限りなく世の道の近くを歩むことはあります。そのようにみことばを軽んじ、不忠実に、世の人と同じ道を歩んではいけません。たとえ困難があっても、主の道を歩み続けましょう。
 第二に、主が来られ、救いが与えられた恵みに感謝することです。ここで救い主について預言されています。わたしのしもべ、若枝、石はいずれも救い主を意味していました。そのまことの大祭司である主は既にお越しくださったのです。私たちは救いにあずからせていただきました。その恵みをいつも主に感謝して歩みましょう。
 第三に、救われた喜びを共に分かち合うことです。その日とありますが、これは主が再びやって来られる再臨の時と考えられます。その日には互いに招き合い喜び合います。しかし、今も私たちは救われた者同志、共に救いを喜び合うことができます。それが教会の集まりです。
 私たちは祭司とされています。この素晴らしい救いを多くの人に伝え、この素晴らしい恵みの輪に招き入れましょう。

<聖書のことば>
聞け、大祭司ヨシュアよ。あなたも、あなたの前に座している同僚たちも。 彼らはしるしとなる人たちだ。見よ、わたしはわたしのしもべ、若枝を来させる。
ゼカリヤ書 3章 8節