ゼカリヤ書 1章 7~17節
2024年12月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司
第一に、主はいつも私たちを覚え、とりなしてくださっていることです。赤い馬に乗った人は、受肉前のイエス様と考えられます。その主が「いつエルサレムとユダの町々に憐みを施されるのか」を尋ねられました。主は決して彼らを見捨てておられたのではなく、覚えてとりなしておられたのです。主は今も私たちのことをいつも覚え、とりなしてくださっています。
第二に、主は妬む程に私たちを愛してくださっていることです。この妬みとは、本来向き合うべき関係が破壊された時に生じるものです。神に背き偶像礼拝に走っていた彼らを、神は妬む程に熱く愛しておられたのです。主は私たちについても同様に愛してくださっています。
第三に、主は建て直してくださることです。荒廃したエルサレムを立て直し、良いもので満ち溢れさせると言われました。主にとって不可能なことはありません。私たちの困難な状況をも、主は建て直すことがおできになるのです。
状況によらず、これら主の約束を覚えて、信仰によって歩みましょう。
<聖書のことば>
それゆえ、【主】はこう言われる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。──万軍の【主】のことば──測り縄がエルサレムの上に張られる。』
ゼカリヤ書 1章 16節