マルコの福音書 15章 20~ 35節
2025年 4月 6日 第1聖日
 牧師 長江 忠司

 死刑判決が下された後、イエス様は刑場まで歩いて行き、十字架につけられました。この個所から、3つのことを学びます。
 第一に、見たら信じるのではなく、見ずに信じることです。祭司長たちは十字架から降りるのを見たら信じると言いました。実際に降りたとしても、彼らは信じなかったでしょう。幸いなのは、見なくても主の約束を信じて主に従う人です。
 第二に、主の苦しみも神のご計画であったことです。主があれ程にあざけられ苦しめられることを神はご存知であり、それはご計画にありました。主はすべてご存知の上で十字架へと進まれ死んでくださいました。それ程に私たちを愛して救おうとしてくださったのです。
 第三に、主のために苦しむことは幸いであることです。クレネ人シモンはイエス様の代わりに十字架を背負い刑場まで歩きました。主のために苦しむ経験をしたのです。私たちは主のために苦しむ事をどう考えるでしょうか。
 新年度が始まりました。どのような歩みをするかを選択するのは私たちです。私たちのために苦しみ死んでくださった主のために、私たちも喜んで自分自身を献げ苦しむ者でありましょう。

<聖書のことば>
兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。
マルコの福音書 15章 21節